2013年5月3日金曜日

時代錯誤の野望

どこへ行くの大好きな日本 by Esteban Sanz   a donde vas querido Japon

このところ安倍政権の
憲法を改悪しようという動きが暴走し始め
それに乗り遅れまいとする連中の無思想な発言や
それをヨイショするようなマスコミの無責任が
目に余るほどになってきている。
安倍首相が
このことを参議院選の争点にすると言い始めてもいるので
この騒ぎはこれからますます加速していくだろう。
しかしこれを先導しようとする
自由民主党をはじめとする連中の発言や思惑には
いやしくも民主主義国家であるはずの国においては
本来あってはならないほどの時代錯誤と
いかにも欺瞞的なレトリックが満ちている。
そもそも
こういったことにマスコミは
「憲法改正」などという、イメージ的に
まるで変えることそのものが善であるような
日本語の曖昧さを利用するような言葉を
決して使ってはならない。
こういう重要な事柄に関しては少なくとも
憲法96条や9条の「変更」
あるいは「書き換え」ときちんと言うべきであって
改憲論者の意図的な言葉をそのまま
無責任に使うべきではない。
これは本題にとって
瑣末なことのように見えるかもしれないが
今回の一連の動きには
こうした意図的に曖昧な言い方をしながら
何もかも一緒くたにして突破してしまおうという
姑息なことがあまりにも多い。
さて本題だが
近代という時代の中では
多くの国が
国の主権者は国民
つまりは
一人ひとりの民が主であってこその国であり
その一人ひとりには
それぞれ人として自由に生きてきく権利があり
それは平等でなくてはならないという
いわゆる
「国民国家」と「民主主義」と「基本的人権」
というコンセプトを掲げて
まがりなりにもやって来た。
それは王や愚かな殿さまや暴君や軍隊や武士が
民を下僕や捨て駒のように扱ってきた
不自由で理不尽で恐怖に満ちた過去から
何とか脱しようとして人々が考え出した
一つの歴史的なコンセプトであり
議会制民主主義や代議士制という仕組もまた
何とか現実をそのコンセプトに近づけるための
ひとつの方法にほかならない。
ところが
安倍首相率いる自民党政権は
国会議員は選挙で選ばれた国民の代表なのだから
しかもいまや多数派になったのだから
自分たちが自由に国を治めることこそが民主主義であり
自分たちにはその権利があるとでも言いたげな
実に稚拙で不見識で傲慢な時代錯誤の勘違い
あるいは
意図的なすり替えをしているように見える。
それでは
国会の多数党が握る権力が
民や人権の上にきてしまう。
これでは自由民主党という党名が
恥ずかしくて顔を赤らめるのではないかと思うが
もしかしたら
そう思っている人たちの集まりが
自民党だったのか?
しかしこの
近代という時代の針を巻き戻して
中世や絶対王制や軍国主義国家の時代のような
国は常に民の上に在る
というような時代に類する構造の社会に
21世紀の日本を持って行こうというのが
今の憲法書き換え論議の本質だ。
自民党の改悪案によれば
国民の自由と権利は乱用してはならず
公益と公の秩序に反してはならない(第3章12条)とある。
表現や結社の自由は認めるが
公益と公の秩序に反する場合は認めない(第3章21条)
また財産権なども
それは保証するがしかしその内容に関しては
公益と公の秩序に適するように
法で定めるとある(第3章29条)。
やたらと公益と公の秩序という文言が
いたるところに出てくるが
これは何としても
公を憲法の上に置きたいという野望の現れ。
ほかにも
国旗や国旗を尊重しなければならない(第1章3条)
という余計なお世話もあるし
家族は互いに助け合わなければならない(第3章24条)
というおせっかいを通り越して
老人が増えたらすべては家族に責任があるので
国は知らないよとでも言いたげな条項もある。
我田引水の条項はほかにもいろいろあり
いちいち挙げればきりがないが
総理大臣や大臣は議院から答弁のために
出席しろと言われたら出席しなければならないが
公務に支障がある時(忙しい時)は
でなくて良い(第3章63条)とわざわざ書いてある。
現憲法の10章の
基本的人権を保障するこの憲法が最高法規である
という条項は
丸ごと削除されてしまった。
しかも
すべて国民はこの憲法を尊重せよ(102条)という
そもそも憲法というのは
時の権力の乱用と暴走をふせぐためにあるという
原則をまるごと逆転させて葬り去ろうという
とんでもない条項まである。
そして問題の96条。
現在、両議院の国会議員の2/3の賛成がなければ
憲法変更の発議ができない現憲法を変えて
1/2で出来るようにしようという
とんでもない考え。
これはゆくゆくは憲法と法律を一緒くたにして
時の権力の暴走を防ぎ
国民を守るためのものである憲法を
国を維持するために
国民に守らせるものとしてある法律と
同じ次元のものにしようとする
憲法の一般法律化を目論むもので
そうなると
政府や議会の多数派が
国民のすべてに対して
命令し統治し監視し罰する権限を持つことになる。
つまりは公、ようするに時の権力が
すべての権力を独善的に掌握することになる。

なんと姑息で傲慢なやりかただろう
公益と公の秩序という
曖昧な文言を乱用するのは
この時代錯誤の
権力を自由に使う権力を
正式に公的なものとして持ちたいという
野望の表れにほかならない。
それにしても
この国は一体どこへ行こうとしているのだろう。
このところ安倍首相は
原発を外国に売りつけるのに躍起だが
未だに一触即発の歴史的な事故を抱え
火山帯の上にある国に
原発を50基も抱え
国土のすべてを喪失しかねない
重大な危機と常に背中合わせにあるこの国が
使用済み燃料の処理の算段さえ持たないまま原発を
外国に売りつけようというのは
あまりにもひどい。
日本が売らなくても
どうせ外国が売るから危険は同じだ
などという暴論はあり得ない。
それは
どうせ人は死ぬのだから
そんなに頑張らずにせいぜい今のうちに
なりふりかまわず
ジャンジャンお金を儲ければいいじゃないか
と言うに等しい。
ここにも
憲法を改悪しようという野望と通ずる
後先を考えない
未熟で傲慢な固執と思考停止がもたらす
危険さがある。