2011年4月28日木曜日

復旧、復興の名のもとの稚拙



このところ、復旧、復興というお題目のもとに
実に性急で稚拙な
単なるアイデアにすぎない言説や
プランもどきのものが
ばらばら提示されて独り歩きし始めている。
基本的に空間というものは
ひとつの場所に
たったひと通りしか創ることができない。
しかも空間はいったん何かが描かれて
それに向かって建設が始まってしまえば
建設それ自体が目的化されて
描かれたものが良かろうと悪かろうと
それに向かってまい進して
ほとんど後戻りできなくなってしまう。
したがって空間構想という仕事は
これから創るものが
考えうる最良のものであることを
さまざまな観点から検証し
また歴史や現実が教えてくれる
貴重なケーススタディや条件を踏まえて
これしかあり得ない
ということを目指すためにあり
また不可視の偶然や現時点の無知によって
とらえきれていないかもしれないという
リスクを考えてもなお
やはり実行に移すべきだという
確信を持ちうる方法によって
慎重かつ大胆に構築されなければならない。
しかし、このところ見聞きするものは
あまりにも旧態然とした手法に
単なる思いつきのようなアイデアを
とってつけたものでしかないように見える。
現時点で見聞きするそれらを
大きくひとまとめにすれば
一つは過去の手法プラスエコ的要素
そしてもう一つは
過去の手法プラス津波対策であるように見える。
そしてどちらも
旧来の手法や仕組みやプロセスの上に立っていて
それを疑ってさえいないように見える。
しかしこれではなんの解決にも
何の希望にもならないばかりか
当該地区にとっての
最低限の必要条件である
安全、安心すら満足させることができない。
今回の災害から学ぶべきは
近代的な考え方や前提や
それに基づく仕組みが現実的に
根底からくつがされたということであり
全てはまず前提そのものから
問い直されなければならない
またこうなる前から、さまざまな形で
問題が噴出していたにもかかわらず
それらに根本的な解決を見いだそうとせず
手をこまねいたという反省の上に立って
誰もが考えなければならない。
少なくとも必要条件に過ぎないものを
あたかも充分条件であるかのように
目的化することなどがあってはならない。
これから新たに創るものに関しては
中央集権的な機構であれ
物の大移動を前提とした
流通や産業のシステムや過度な分業化であれ
生産と消費や商品化の仕組みであれ
税の仕組みであれ何であれ
象徴的には
ます近代という時代が構築した方法の
本質や問題点や功罪を明らかにした上で
当該地域が抱えてきた問題や潜在力を踏まえながら
近代を超えるヴィジョンやコンセプトや方法と
それに基づく新たな
地域的であると同時に地球的でもあるモデルを
創造しなければ意味がない。
あくまで安全と安心を前提としつつも
より心地よく、より美しく
よりリーズナブルで、より人間的な
喜びや豊かさや確かさを育み得る
私たちのための居場所の再創造を
目指さなければ恥ずかしい。
このままでは貴重な税金と時間を無駄遣いした上に
無意識のうちにも
想定外という言い訳が
あらかじめ用意されているような愚策に
復旧復興というかけごえのもと
邁進してしまいかねない。
そうしていつか来た道を
再びたどってしまうことになっては
あまりにも悲しい。
善意からであれ思惑からであれ
公的な役目としてであれなんであれ
何らかの形で東北地方の
ひいては地球時代の日本の
再創造のための構想にかかわる者は
国民国家と産業化社会と科学盲信といった
もろもろの近代的なことがらを
根底から問うことなしに
表面的なアイデアを
安易に目的と置き換えてしまうような
愚鈍で破廉恥なことだけは
してはならないと思う。