2018年9月14日金曜日

天災と人災(後編)

byEsteban Sanz

天災と人災
あるいは現在の日本という国の特殊性について
後編:基本的背景
(前編より続く)
日本は長い間
村落共同体的な社会を維持してきました。
豊かな自然の恵を背景に
比較的平和に暮らして来たとされる
文字を持たない長い長い縄文時代や
アイヌ文化のあと
大和朝廷の成立によって
日本全体の社会状況がある程度安定して以降
周囲を海に守られていたため
海外の異民族の侵略という恐怖に晒されることなく
米本位制とでもいうべき経済の仕組みと
それを持続的に管理する官僚制のもとで
限定された地域で
同じような価値観を持つ人々が共に生きるという
生活スタイルが続けられてきました。
重要なことには村人が総出で行動し
重要なのは意思の一致であり
長などの意見に同調することであり
勝手な行動をするものは
和を乱し村を壊すものとして村八分にされました。
つまり良くも悪くも共同体の中に
全会一致の原則が
暗黙のうちに成立していました。
そこでは神もまた
極めて曖昧ながら、しかし身近な存在でした
文字を持たなかった文化を受け継ぐ精神風土の中では
神の価値観を記した聖典などはなく
神はあらゆる自然の中に
あるいは具体的には
柏手を打ったりお供えをしたりといった儀礼の中に
あるいは普段の暮らしの
何気ない振る舞いの中に存在していました。
つまり神は自然と同じように
太古から人々と共にあった何かであり
無意識のうちにも敬うべきものとして
習慣的に生活の中にあり
いざとなれば頼むべき何かとして
神社の佇まいや形式や祭事や祈願の中に
存在し続けてきました。
つまり自然の恵みであれ
先祖の知恵であれなんであれ
大切なことの多くはすでに存在していて
それをそのまま大切なこととして継承していくこと
そのこと自体が重要とされてきました。
それが日本個有の文化の形でした。
日本とはそんな村落共同体の集合体であり
そこに漠然と、しかし動かしがたいものとしてある
価値観や美意識や禁忌
さらには
共同体としての和を良しとする共通調和感覚と
その象徴としての天皇制という制度によって
国家も維持されて来ました。
つまり日本は自然の恵と
漠然とした共通認識と共にある国家でした。
四方を
寒流と暖流とがぶつかり合う豊かな海に囲まれた
温暖な位置にあって
水が豊かで山が多く
海の幸、山の幸、里の幸に恵まれた日本の自然は
神が怒りさえしなければ豊かでした。
山の神が火を吹かなければ
海の神が荒れ狂わなければ
地の神が怒って大地を揺るがさなければ
水の神が怒って田畑を流さなければ
風の神が怒って吹き荒れなければ
疫病神が取り憑かなければ
陽が強すぎなければ、弱すぎなければ
なんとか食べていける
豊かな自然に恵まれた国でした。
神々が怒りさえしなければ
景色は美しく、水は美味しく
四季の豊かな食べ物に恵まれていました。
神は草葉の陰にも空の上にも、どこにでもいて
怒りさえしなければ優しい何かでした。
怒ったら怖い山の神のおかげで
温泉だっていたるところにありました。
江戸時代のように
道路や水路や価値交換システムを含めた
広域の社会インフラがより整備されても
村落共同体の集合体を
米本位の経済的な仕組みによって統治するという
基本的な仕組みは変わりませんでした。
つまり封建的な価値観や制度そのものは
それほど変わりませんでした。
変わる必要がなかったからです。
江戸幕府はそれをより明確化させ
米本位制による持続経済社会
つまりは現状維持を原則とする社会を作り上げました。
統治機構としての幕府はありましたけれども
大まかな文化風土の違いによって分けられる
藩というくくりのもとで
地域もまた独自性を持つ地域として存在し得ました。
それというのも風土的な違いはあったにせよ
本質的な価値観や技術には
それほど大きな違いはなかったからです。
しかし近代に入って状況が一変します。
西欧の文化と社会の中から生まれた
近代国家という新たな概念と方法によって
社会を稼働させるシステムが巨大な台風のように
世界を席巻し始めたからです。
これは大雑把にいえば
二つの全く異なるエンジンを合体させて
それにターボチャージャーをかけて
国家や経済を稼働させ運営し推進するシステム
あるいは前輪と後輪が
全く異なる原理とパワーで稼働する
四輪駆動のパワフルマシーンでした。
エンジンの一つは産業革命に端を発する
産業資本主義というハードなパワーエンジンです。
すなわち
石炭や石油などの化石燃料を燃やして得られる
熱エネルギーを利用して稼働する
人力や家畜の力とは桁外れの機械力によって
大量に物を生産し
大量に世界中に売りまくるシステムです。
これは平たくいえば
異なる民族や歴史からなる無数の都市国家が
しのぎを削って争い合って手に入れた
西欧の先進国の先進的な技術力や軍事力という背景と
植民地などの広域領土としての後進国の存在
つまり穀物や原料や労働力の供給元と生産品の販売先
ちまりは植民地的な存在を前提にしたシステムであり
儲けたお金をさらに常に技術の進歩や軍備や
生産規模の過剰な拡大につなげる仕組み
もとをたどれば
他国を制圧し領有し
余剰な富を獲得することから生じた
ヨーロッパの古くからの階級差別社会
すなわち貴族階級と奴隷の存在によって機能し
次々に他者を併合していく
そしてローマ帝国がそうであったように
豊かな都市空間や文化
そして圧倒的な技術力や文明力で
被支配国を圧倒し、あるいは魅了して
無限拡大を指向するシステムです。
これは日本のように
価値観が全く異なる他民族の奴隷になる恐怖を持たず
豊かな自然を背景にした持続型の
現状維持を旨とする社会システム
つまり西欧の近代の
進歩や拡大や格差を是とする価値観やシステムの
全く対極にあります。
しかし日本は幕末から明治にかけて
西欧文明のパワーに圧倒されて
和魂洋才の掛け声のもと
西欧の技術やシステムを日本の文化風土や
それを成立させた背景や歴史とは無関係に
とにもかくにも取り入れることに
産業資本主義社会への転換に邁進しました。
この本質的構造的なギャップを日本人は
勤勉さや器用さや意思一致の習慣などの全てを駆使して
終身雇用的な会社システムや
緩衝帯のような行政という国家機関を作ることで
なんとか和らげ
会社が一国一城であるような
また政府が幕府であるような
総会社員社会、挙国一致体制社会を作り上げるという
不思議な裏技で帳尻を合わせてきました。
しかし日本の社会と経済の仕組みはもともとは
西欧が構築した近代の産業資本主義的なシステムとは
相反するものでした。
近代国家を稼働させるもう一つのエンジンは
国民国家という概念(コンセプト)です。
具体的には三権分立と議会制民主主義制度によって
産業資本主義を自国民のために制御し
人間と社会とはどうあるべきかという
理念を模索する中から生まれた
国家運営上のソフトなシステムです。
これは国民を主権者とするという
人類史始まって以来の
画期的なシステムでした。
この背景には西欧が
もとをたどれば過酷な荒地で生まれた
厳格な一神教であるユダヤ教
それに人間愛を加味したキリスト教を
価値観の中心持つ社会であることが
深く関係しています。
一神教というのは
善悪の全てを唯一無二の神が決めるということです。
何が善であり悪であるかは神が決めることであり
しかもそれに関しては
旧約聖書に事細かに書いてあります。
またそこに人間愛という要素を加味して世界化した
新約聖書にわかりやすく書いてあります。
つまり善悪は漠然としたものとしてあるのではなく
それを計る物差となる書物が
確固として存在し続けてきたということです。
聖典を持たない日本の神道とは
全く異なります。
ちゃんと説明をするとさらに長くなりますので
かなりはしょりますが
西欧社会は基本的には
この聖書の価値観の上に築かれています。
つまり聖書の価値観を象徴する教会が
具体的にはその長である司祭や教皇が
強大な権威と権力を持っていました。
大きかろうと小さかろうと
街の中心には教会があり広場があり
そこでは教区を護る騎士を成り立ちとする王もまた
教会の権威とともに長い間
強固な存在として君臨していました。
しかし考えてみれば
キリスト教的な価値観の中では
人間は神によってつくられた存在ですし
何が良いか悪いかを神に教えてもらう存在なのですから
逆に言えば
神や神の子であるイエスのもとでは
一人一人の人間は
神の言いつけを守る限りにおいて
平等であるはずです。
いろんなことを知っていたり知らなかったり
腕力が強かったり弱かったりしても
お金を持っていたりいなかったりしたとしても
そんな人間社会の細かな違いなど
神の存在に比べれば無いも同然です。
にもかかわらず西欧社会では
長い間にわたって教会や王や貴族が
神の威光や富や武力を背景に
あらゆるものを上流階級や教会が独占してきました。
産業革命が進行するにつれて登場した
新たな階層としてのお金持ち
いわゆる中産階級(プティブルジョア)が
不満を持ち始めるのも当然です。
同時に、人間とは何か
神に愛された人間が仲良く暮らしていくための
理想的な仕組みはないのかと考える
いわゆる啓蒙主義と呼ばれる思想と
それに基づいた社会を
構築しようとする人たちも現れます。
これらの人たちと
それまで歴史的に虐げられてきた
下層階級や労働者が手に手を組んで
それぞれの細かな思惑や立場や損得の違いを超えて
王や教会が牛耳る社会を根本から変えようとしたのが
いわゆるフランス革命です。
呉越同舟的な集まりだったとはいえ
彼らはだからこそ皆が納得できる
自由、平等、友愛の旗を掲げて
選挙というものに基づく国会をつくり
そこでの議決によって
国を運営することを始めました。
初期段階では勢い余って
王と王妃をギロチンにかけたりもしました。
それを煽った党首も
やがて同じ目にあったりしましたけれど
とにもかくにもこうして
人は皆それぞれ意見も立場も違う
ということを前提としつつ
そのような様々な人々が寄り集まって
意見を交わし合い調整し合いながら
社会を自らが運営するという
近代国家の基本的構造がつくられました。
それは国民国家という概念に基づくもので
そのコンセプトはおよそ以下のようなものです。
国家は主権者である国民が治める。
国民がどのような国を望むかを国民は憲法に表す。
国民は自分たちの代弁者である議員を選挙で選ぶ。
議員は国会で憲法に基づいて法律を作る。
国民は国家の構成員として法を守り国家に税金を払う。
国家は税金を国民のために分配する。
国民は人間として生きる権利を有する。
国民は国家との関係において平等である。
国民は法を犯さない限り自由である。
国民は友人同士である。
国会や行政や国民が法や憲法を犯さないよう
司法を設けて監視する。
行政は憲法や法に基づいて
国民の日々の生活のために働く。
近代国家はこうして
産業資本主義と国民国家という
二つの全く異なるエンジンを連結して稼働し始めました。
突き詰めれば産業資本主義は損得によって回り
国民国家は善悪によって回ります。
つまり国家は産業によって富を増やし
政府はそれを
国民に平等に還元する
という建前のもとに運営される
西欧が発明した国家運営ステムが近代国家です。
明治以降に導入された
この近代国家の基本コンセプトはしかし
それまでの日本の文化風土や仕組みとは
全く異なるものでした。
無限拡大を目指す産業資本主義は
基本的に現状維持の持続社会である日本とは
全く異なる原理とメカニズムを持っています。
議論を重ねて採決によって物事を決する
議会制民主主義の方法は
人がそれぞれ意見が違うということを前提としていて
だから多数決をしたりするのですが
同時に
神が認める真理というものがどこかにあるはずであり
みんなで知恵を合わせてそれに近づこう
神によってつくられた人間という存在に
恥じないような結論を
知恵を集めれば出すことができるはずだという
理念に基づいています。
これは意見の一致を曖昧に指向し
原則として全員一致を旨とする
日本の共同体の運営方法とは全く異なります。
為すべきことを文書で表すという方法も
聖典や言葉による明確な基準を持たず
前例や慣習を重んじる日本的な感覚とは異なります。
また神による絶対的な善悪の基準という価値観を持つ西欧では
国民国家という概念における議員や裁判官は
基本的に王や教会に代わって登場させた
新たな神というべき国民国家という理想の代弁者
ともいうべき役割を持ちました。
それは専制君主や教会の権威や権力を転倒させて成立した
国民国家の矜恃ともいうべき意識でした。
ですから19世紀以降
国の主人公である国民、すなわち
大衆の代弁者的役割を担ったマスメディアは
常に国家を監視し
政治家が悪事を行えばそれを攻撃し
風刺画や批判を新聞などの
定期刊行物(ジャーナル)に掲載して
権力者や資本家や聖職者の横暴への
闘いを繰り広げました。
それが
ペンは剣(権力)より強しという自負を掲げた
あるいは神に成り代わって社会正義を貫くという
使命を自らに任じたジャーナリズムです。
ところが日本では
こうした近代国家を成立させた
歴史的背景やそこで構築された仕組の意味とは
ほとんど関係ない形で一切が
無理やり接木をするように
もともと民主主義という概念を
自らが構築したわけでもない日本社会に
強引に輸入され一気に制度的に導入されました。
その根本的な矛盾が
未だに根強く尾を引いて
日本の政治や産業やマスメディア、そしてその関係を
奇妙なものにしています。
マスメディアが国家の代弁機関となったり
政府が幕府のように権力を振りかざしたりするのは
制度だけを導入したという
構造的弊害の一つの表れです。
またかつては身近な存在であり
日々の祭事や儀礼や行事や習慣と共にあった神や仏は
人々の暮らしが自然から遠ざかり
近代化された日常の中では
存在しないも同然となり
かろうじて冠婚葬祭の際のお飾りのようものに
なってしまいました。
つまり日本社会は神や仏という
精神的なタガをなくし近代化以降
かつての美意識を徐々に
失ってしまったということです
それに加えて現在
西欧型の近代国家の限界が露呈するにつれて
つまり近代的な方法が有効性を失い始めるにつれて
歴史を踏まえてその先を模索するのではなく
むしろ近代以前の日本的な何かへと
歴史の針をやみくもに逆に回して戻ろう
とでもするかのような
無謀な奇妙さが日本に蔓延し始めています。
その歴史や過程を無視した異常さと奇妙さが
ほとんど意識されないまま
ダブルで強力に存在し始めているのが
現在の日本です。
冒頭で述べた3.11以降の
そして最近の一連の災害で露呈した
奇妙さ蒙昧さ論理性のなさ、あるいは理不尽さは
こうした日本の歴史的文化的社会的特殊事情と
深く関係しています。
今世界は極めて困難な状況に直面しています。
それは近代国家を稼働させてきた
2つの基本的なエンジンが限界を越え
様々な弊害を生じさせていることに加え
コンピューターの出現により
文明の進歩と文化の衰退が同時に進行するという
人類史始まって以来の
前代未聞の異常事態が進行し
それを超える方法論を
世界が未だに見出せない状況にあるからです。
近代国家は
大雑把に言えば
良くも悪くも国家という単位を重視し
大量生産大量消費の拡大再生産による
経済力と国力の拡大を国家間で競い合う仕組でした。
だからこそ二度の世界大戦が起きました。
そこでは政治においても産業においても
ピラミッド的(軍隊的)な命令系統
つまり一極集中、中央集権という
稼働形態が取られました。
しかしこの形態は
端的に言えば企業活動の多国籍化、グローバル化と
経済規模の拡大と金本位制の断念
為替の連動とコンピューターの出現に伴う
金融資本主義の暴走によって
崩壊し始めました。
その結果
スタート時点では富の再配分を担うべき存在だった国家
つまりは基本的人権と善悪を指針として
国民の平等な福祉の実現を目指して
国家を運営するはずだった政治が
損得を求める産業や金融資本主義に
飲み込まれてしまうという事態が進行し
巨大化した国家の仕組みそのものを維持するために
税制などにおいて国民よりも世界企業を重視し
政府が国民から収奪する流れが
常態化してしまいました。
もちろんそのことによって
貧富の格差の拡大と福祉の無視
そして情報の独占化と
集中管理・監視社会化が世界中で進んでいます
この流れと
近代以前への先祖返りとが合体してしまい
近代が生み出した成果や
近代が求めた人間主義や
国民国家の概念さえも無視して
江戸末期に強烈なショックを受けて捨ててきた
日本という共同体幻想を無前提に評価しつつ
成長・拡大を実現した時期の近代という
今や再現不可能な過去の記憶にすがって
トラックを逆向きに走ろうとしているのが
今の日本です。
冒頭に述べたようなことが起きているのは
このようなことと深く関係しています。
ある段階では有効だったかもしれない
近代特有の方法論
すなわち
一極集中、重厚長大
無限成長、パワー重視
大量生産大量消費
巨大公共事業により経済の牽引
過度な分業化と均一化
偏狭な目的の設定
狭い視野での短期的な利益重視
単年度決算
政党重視の議会運営
等々は
もはや時代遅れの有効性を失った方法です。
全てを一気に刷新することが難しければ
せめて災害によって露呈した欠陥を
総合的にスタディして
同じことを繰り返さないよう
長期的で広い視野と展望に基づく
インフラの整備、再創造が急務です。
加えて
近代によって明らかになったことを踏まえ
また歴史や世界の現実を踏まえて
未来を創造するために有効な総合的ヴィジョンと
それを実現するための
生命的なマスタープランを描くことが急務です。
国家や行政の役割は
それを国民の暮らし
その安らぎや喜びのために
行うことに他なりません。
しかしレースで言えば
何周もの周回遅れとなりながら
それに気づかず、あろうことか
コースを逆に走り始めてしまっているのが
日本の国の現状です。
そのことの弊害があらゆる局面で
噴出し始めています。
いま前方を見なければ
可能性のある方向に舵を切らなければ
かつて巨神と名付けられた
タイタニック号のように氷山に激突して
日本国は海の底に沈んでしまいかねません。


天災と人災(前編)


by Esteban Sanz

天災と人災
あるいは現在の日本という国の特殊性について
前編:概況

災害が
それもこれまでにはなかったような過酷な災害が続きます。
その度にTVなどから凄まじい被害状況や
肉親を亡くした人や過酷な状況を耐え忍ぶ人々の映像が
繰り返し繰り返し流され続けます。
天災の恐ろしさと日本人の我慢強さばかりが強調されます。
けれど、今日の私たちの生活空間は昔のように
自然と密着しただけのものではありません。
私たちは今や
電気や水道やガスやネットや道路や鉄道や店舗などの
人によって構築された社会インフラの中で暮らしています。
暮らしの大部分がすでに
人為的な人工物によって支えられている以上
地震や台風などによって起きた災害は
もはや単なる天災としてではなく、人災として
つまりは社会インフラの設計と
その建設や維持の良し悪しと共に語られるべきです。
したがってTVなどのマスコミの仕事は

被災した人の表情や悲惨な状況の映像を
繰り返し流すことにあるのではなく
むしろ天災によって弱点が露わになったインフラを
誰がいつ何を考えて設計したのか。
それを誰がいつどこで何を根拠に
どのようなプロセスを経て認可し採用したのか。
その建設を誰がいつどのように行うかを
誰がどこでどのようなプロセスを経て決定したのか。
そしてそれは誰の監理のもとどのように施工されたのか。
同じようにしてつくられた危険なインフラは
ほかにはないのか。
さらにはつくられたものの欠点や経年変化への
対処や変更の必要性などが
誰によってどのように検討され
どのようにプログラム化されているのか。
その実行を誰がいつどこで
どのように実行に移されたのか。
(あるいはされなかったのか)
また過去の類似の災害をどのように検証し
そこから未来に活かすべきどんな指針を得たのか。
(あるいは得なかったのか)
そのようなことを追求し事実を共有し、それらを
現在から未来に活かすべき知恵集めに寄与することは
メディアの重要な仕事です。
また政府や行政の仕事は
最低限の応急手当てを行い
必要な救助や復旧をすることだけにあるのではなく
国が構築した社会インフラの何が被害を拡大し
それはどこに問題があったのか。
その設計や建設がどこで誰によって何を根拠に
どのようなヴィジョンと設計のもとになされたのか。
責任の所在はどこにあるのか。
それを遡って検証する書類はどのようにつくられ
どこにどのように保管されどう役立てられているのか。
(あるいはいないのか)
あるいは何が被害を減少させることに寄与したか。
そこにはどんな可能性があるのか。
それらをこれから社会インフラの構築にどのように
どう活かしていくのか。
そのことを国民に向かって
人々が希望が持てる具体策とともに
説明する義務が政府にはあります。
なぜなら現在の社会インフラを構築し建設を指導したのは
またこれからもそれを担うのは
国家や行政だからです。
連続して起きたこの間の
災害の中で露わになった社会インフラの不備を
ヴィジョンアーキテクトの立場から見つめれば
極めて重大なものだけで
以下のような問題が挙げられます。

現代社会の最重要基本エネルギーである
電気関係のインフラにおいて
なぜすでに過去のものとなった近代初期の社会インフラ構築概念が
いまだに採用されたままなのか。
一箇所の巨大プラントがストップすれば
北海道全土が停電するような
すなわち一極集中、巨大生産・消費システムを
(膨大な送電ロスを無視して)
なぜ広大な北海道に導入したのか。
それは誰の指示を受けて誰が設計し
何を根拠に実行されたのか。
それはなぜ改善されてこなかったのか。
さらに北海道の広大な土地と自然を活かした
風力、太陽光、地熱、水力等の多様な電気エネルギー生産
小規模地域分散&ネットワークなどに向かうべき状況の中で
なぜそれらは促進されてこなかったのか。
加えて、どのような事情を踏まえて
インターネットシステムが構築されたのか
電源に依存するコンピューターや
スマートフォンに対応させたインフラのあり方
分散能という生命的な方法などが
全く考えられていないのはなぜか。

泊原発に関して
外部電源の喪失に対応する非常用電源は
最低二箇所必要であるとされる世界の常識の中で
巨大システムのウイークポイントである
ブラックアウトが十分想定できたにもかかわらず
なぜ非常用電源が一箇所にしかないのか。
そもそも世界有数の地震国火山国で
福島の事故の後もなお
未だに原発をベースロード電源と位置付ける愚かさが
なぜまかり通っているのか。

厚真町の土砂崩れに関して
ハザードマップではすでに
土石流の危険性が指摘されていたが
それに対して行政はその地域住民に対して
どのような説明や指導や指示をしていたのか。
(あるいはしていなかったのか)

札幌市の液状化について
該当部分は沢筋を埋め立てて造成したもののようだが
誰がなぜそのようなことをしたのか
そのような危険なことをすることを
誰がいつどのような根拠のもとに認可したのか。

関西国際空港の被害に関して
一般的な建築物でさえ2方向避難の確保が必須なのに
一本の橋だけでなぜ国際空港を成立させたのか。
また浸水したA滑走路より
B滑走路は海抜が高くなっていることや
A滑走路に防波堤が設置されているところを見れば
A滑走路が極めて脆弱な状態にあることは
認識されていたはずなのに
なぜ改善されなかったのか。
そもそも何を根拠にあのような設計がなされ
それがどうしてどういうプロセスを経て
計画され設計され認可され建設されたのか。

他にもいろいろありますけれども深刻なのは
過去の災害
とりわけ東日本大震災や
そこでの人災である福島第一原発の事故の教訓などが
ほとんど活かされていないということです。
問題はどうしてなのか
どうして社会インフラの不備が
自然災害があるたびに露呈するのか
同じようなことがどうして起こり続けるのか
国家的なインフラ建設プロジェクト
国策的な巨大プロジェクトほど脆いのは
なぜなのかということです。
実はそこには日本の近代に特有の
極めて根の深い特殊な事情があると考えられます。
これに関して説明をしますと
非常に長くなってしまいますので
まず極めて大雑把に
その根本的な問題を指摘します。
最大の問題は
日本という国の近代化の過程の中で
本質的に深く考えることなく性急に
江戸の末期から明治にかけて
先進諸外国の文明のパワーに圧倒されて
長い歴史の中で育みそれなりに成熟させて来た
日本の文化風土に適した
国家の運営の方法や仕組みを
打ち棄てるようにして
それとは対極にある西欧的な価値観を背景につくられた
近代国家とその運営・経営方法を
和魂洋才の掛け声のもとに強引に
その意味や背景を深く考えることなく
ほとんど問答無用の形で
政府主導で導入したことです。
このことが招いた弊害は
詳しくは後編で詳しく述べますが
一つは
近代国家の基本的なシステムやツールを
その問題点を検証することなく導入し
それを無邪気に推し進めたことです。
その結果、産業化は進みましたけれども
近代国家が内包する負の側面である覇権主義と無限成長や
それを支える国力、軍事力に対する信奉を
過度に肥大させてしまいました。
それがロシアや満州やアジアへの
侵略戦争につながりました。
一つは
日本が歴史的に育んで来た
文化や精神風土とは異質の西欧文明や文化
あるいは先進技術や方法を
個別に取り入れることを善とし
両者の問題点や矛盾点や可能性を
深く検証することを怠ったまま近代化を進めたために
その過程の中で
思考停止や想像力の欠如や論理性の無視が常態化し
さらには総合的社会空間デザイン力などが
育ちにくい社会を作ってしまったことです。
つまり日本の近代化は
大きな構造的矛盾を内在化させたばかりか
和魂さえも見失うという結果を招いて現在に至っています。
この矛盾が、近代国家というモデルがすでに
時代遅れになって来ている現在
様々な弊害となって噴出してきているのが
現在の日本の姿です。
冒頭に述べたような諸問題は
その構造的な矛盾の
現象的な現れに過ぎません。
このことをちゃんと説明しようと思えば
さらに長くなってしまいますので
とりあえずこれくらいにすることにします。
ご興味を持たれた方は
後編をご覧になっていただければ幸いです。

2016年1月12日火曜日

デヴィッド・ボウイ  DAVID BOWIE


むかし、むかし
空から突然舞い降りてきて
その頃、やや閉塞状態になりかけていた
ロックの世界に
もう一つの広がりを見せる窓を
大きく開け放ってくれた
スターマン、デヴィッドボウイが
2016年1月11日
ロックのもう一つの世界につながる
素晴らしいアルバムを遺して
暗い夜空に向かって天窓を開け放ち
永遠の安らぎを求めて
再び星に、帰って行った。
彼の新しいアルバム『BLACK STAR』が
ちょうど家に届いた時に
TVのニュースで
そのことを知った。
以下は
以前私が書いた『アトランティスロック大陸』
という本の中の
デビッド・ボウイに関する文章です。
追悼の意を込めて
掲載します。
スターマンが、空で僕らを待っている
彼はやってきて、僕らに会いたいと思ってるけど
でも、そんなことをしたら僕らが
イカレちゃうんじゃないかと心配してる
T・レックスのマーク・ボランと共に
いわゆるグラムロックの
その最初の騎手として知られる
デビッド・ボウイは
アトランティス・ロック大陸に見参するにあたって
陸路でも海路でもなく
宇宙から飛来するという
現実とは一旦縁を切った新奇で物語的な方法を
敢えて採った。
それは彼のひらめきに基づくと同時に
ある意味では
計算し尽くした結果としての
極めて聡明な虚構でもあっただろう。
何故なら
すでに創世記を終えたアトランティスで
居並ぶパイオニアたちと
同じ土俵で競い合うことは
不可能であると同時に無意味でもあり
かといって
単に後に続く者となるには
ボウイは余りにもクールであり
またシーンの内輪の空気を
吸いすぎていたようにも思われる。
どんな世界でもそうだが
一つの出来上がったシーンに
新たに登場しようと思えば
ある種の蛮勇が
さもなければ緻密な戦略性がいる。
なぜなら
そこにはすでに磁場のようなものがあり
そこで新たな者として生きていくためには
その磁場に平然と耐えて歩むだけの力が
あるいは
それを利用して舞い上がって見せるだけの
技や独創がいる。
もちろん
何かが新たに始まる時は
必ずしもそうではない。
何かを始めた者は
それを始めずにはいられなかった勢いに駆られて
なぜか自らの身体が感じた
一瞬の確かさだけを頼りに
行く先も分からぬまま
後先など考えずに前へ前へと進む。
そして、その者の斬新な振る舞いを見て
わけもなく感応した者が
間髪を入れずに後を追い
あるいは
それとは少し違った方向に走り出す。
一人。そしてもう一人。
当然のことながら
後から走り出した者が
先に行く者を追い越す場合もある。
それを見て
より速く走る者や新たに歩き始める者
そうして互いに他を呼び
競いながら走る者たちの一団は
やがて
一つの同じような波長を持った者たちの塊として
周囲とは明らかに異なる熱を放ち始める。
そんな塊が、それまでは
存在することすら知られていなかった
荒野を転がるように進んだ後には
やがて獣道のような道が残る。
そして塊が放つ熱に、あるいは
そこから巻き起こる熱に浮かれた者たちが
さらに巨大な群をなして獣道を行く。
そのとき獣道はすでに
細く曲がりくねった獣道ではない。
それはすでに
まるでメインストリートのようであり
そこから
いくつものハイウエイネットワークが
いつの間にか迷路のように張り巡らされている。
そんなハイウエイの上を
新しく来た者たちが群をなして走る。
そして、かつては獣のようなならず者であり
すでに伝説的な存在となった
先陣を切った者たちもまた同じようにその上を走る。
一つのムーブメントが
一つの日常的なシーンとして
社会のなかに組み込まれていく。
繰り返すが
そんなシーンの中に新たに登場するには
多くの場合、ある種の蛮勇がいる。
だが蛮勇は求めて身に付けるようなものではなく
直接熱病に触れた少年少女の特権としての
無知や夢想が
あるいはムーブメントの中心を遠く離れた
辺境の地場にいながら
メディアを通して熱病に
感染してしまった者の孤独が
結果として、知らず蛮勇を生む。
しかしデヴィッド・ボウイはそうではない。
彼は場所的にも時期的にも
ムーブメントの真っ直中にいて
巡り合わせという偶然の魔法が働けば
ディランにも、ミックジャガーにも
なれたかもしれないと思わせるような
何かを持っていながら
ほんの少し彼らより微妙に若かったために
あるいは、おそらくほんの少し
他の無鉄砲な少年たちよりは
微妙に屈折した素直さを持った
オリコウなマセガキであったために
最初のスタートダッシュのチャンスを
つい逃してしまったように見える。
そしてそれは
彼の聡明さの証であったようにも見える。
極めて直感的な独断だが
ボウイは、おそらく自らとその才能の
その時期ならではの特異性
すなわち「狂気の不在」を
自ら自覚していたのではないかと思われる。
そんな彼が選んだ
一発逆転のホームランが
アトランティスロック大陸に
宇宙人として見参するという
自作自演の虚構だった。
窓の外を見てごらん、輝く彼の光が見える
もし僕らも輝くことが出来たら今夜にでも
彼は地上に降りてきてくれる
パパには内緒だよ、じゃないと彼を怖れて
僕らを部屋に閉じこめちゃうかもしれないからね。
表現やその可能性には限界がない。
時代には終わりがない。
どんなに行き止まりのように見える路にも
必ずその先に新たな可能性がある。
時代には続きがある。
その時代を生き始める
新たな少年少女たちがいる。
だがそのことは通常
新たな可能性が
実際に拓かれるまでは分からない。
刻々と変化する新たな時代を
生きてみなければ分からない。
考えてみればロックは
常に社会や時代や
それを変革する新たな価値と共に進んできた。
そして一人の今を生きる表現者として
それらと真っ正面から生身で向かい合うことで
進化してきた。
それが、ディランが開けた扉であり
ビートルズが歩んだ路でもあった。
だが、ベトナム戦争はそれでも終わらず
それどころか、戦争はむしろ飛び火し
日本では浅間山荘事件が起きた。
オリンピックという平和の祭典という幻想すら
テロによって打ち砕かれた。
ロックはすでに成熟しきった感があり
プロフェッショナルな見事さとは裏腹に
かつてのような、ときめくような生身の感覚が
急激に失われていくようにも思われた。
そんな精神的な袋小路のような状況の中で
どの路を走っても
壁に突き当たってしまうのなら
いっそ地面から一度縁を切って浮游し
その状況を
空から眺めるという方法もあるではないかと
つまりは虚構という
長い間なんとなく皆が忘れていた
表現が持つもう一つのフィールドに
注目したのがデビッド・ボウイだった。
余談だが、確か1972~3年頃
原宿に山本寛斎がオープンした
ブティックの外壁には
彼のデザインしたきらびやかな衣装を着た
デビッド・ボウイの巨大なパネルが貼られていた。
そしてそれは
それまでのミュージシャンのファッションとは
異質な次元の新しさを放っていた。
アトランティスは、明らかに
別の時代の

別の次元の展開に向かって進んでいた。